2月18日(土)に、「第1回新入生と保護者のための説明会」が行われました。春を迎えた新入生たちは、穏やかな顔つきで説明を聞いてくれました。私は、「今までは、保護者、小学校の先生、塾や習い事の先生という3つの頂点を持つ正三角形の中心に皆さんがいて、大人に守られて過ごしてきました。でも、これからは、皆さん、保護者、中村の先生という頂点を持つ正三角形に変わります。皆さんは守られている立場から、自立への路を歩み始めるのです。中心には夢があります。その夢を大切に育てていきましょう」という話をしました。一人でできることは確実に実行する、すべきことには努力を惜しまず取り組む、やりたいことに挑戦する。このような心構えを、中学校入学までに身につけてほしいという願いを込めてお話ししました。

このような主体性を抱いて生活することは、簡単なことではありません。しっかりとしたセルフコントロールが必要だからです。しかし、新入生の皆さんは中学受験を通じて、この自己管理の力を知らず知らずのうちに身につけています。時間を操ることができるのです。メリハリをつけ、優先順位を考え、小学校でやるべきことと中学校への入学準備を両立させることができるのです。受験をやり遂げた自分を褒めてあげてください。そして、支えてくれた人達に「ありがとう」という気持ちを持ち続けてください。この自信と感謝の気持ちは、必ず皆さんを大きく成長させてくれます。

小学校5年生の皆さんは、来年の2月には受験を迎えます。2月25日(土)に行われる「中村中学校学校説明会〜新6年生集まれ!」では、入試問題を使って勉強会をします。皆さんが焦らず落ち着いて勉強できるように、4教科の学習ポイントなどをアドバイスします。勉強は学力を身につけると同時に、人間力も身につけることに繋がります。どちらも一朝一夕には習得できませんので、地道に、コツコツと、諦めることなく持続させることが必要です。勉強したくない日もあるでしょう。辛くて投げ出したくなる日もあるでしょう。そんな時こそ、自分で自分を励ましましょう。何回心が沈んでもいいのです。その度に、自分の心にきちんと向き合い、諦めずに行動する自分を育てていけばいいのです。日々の生活の中では、学力や人間力の習得を実感することはないかもしれませんが、「努力すれば必ず成長する」のです。真剣に取り組む時間が長ければ長いほど、「力」は大きく、広く、深くなるのです。

皆さんは一人ではありません。お母さんやお父さんがいつも寄り添ってくれています。小学校の先生が見守ってくれています。塾や習い事の先生が支えてくれています。自分を応援してくれる人たちに感謝の気持ちを持って、前を見て、着実に進んでください。私は、小学校5年生の皆さんが、今、この瞬間から主体性を持って日々の勉強に取り組んでくれることを信じています。

2月1日(水)、2日(木)の2日間に亘って中学校入学試験が行われ、コンピテンシー入試(一般入試・特待生入試)、ポテンシャル入試という3種類の入試に受験生が取り組みました。緊張した面持ちで会釈する受験生、笑顔で挨拶をする受験生、「よろしくお願いします」と言いながら受付に向かう受験生など、一人ひとりが自分と向き合いながら来校しました。

「頑張ってほしい」という思いを笑顔で明るく伝えて、受験生と保護者の方を迎えました。受付で受験生に私からの「応援カード」をお渡ししました。少しでも緊張を和らげて試験に臨んでほしいという思いを込めて、2月1日一般入試受験生には「清く澄んだ気持ちで!」「『どきどき』を『わくわく』に!」、2月1日特待生入試受験生には「実力を素直に丁寧に出そう!」「今までの自分を信じよう!」、2月2日一般入試・ポテンシャル入試受験生には「笑顔で気持ちにゆとりを!」、2月2日特待生入試受験生には「頑張っている自分を褒めてあげよう!」「『いつもの自分』で力を発揮しよう!」というメッセージを自筆で書き込んだカードを贈りました。

中学入試は受験生にとっては大きなトランジション(転換期)です。しかも、数年という年月をかけて経験する「節目」です。自分の意思で私立中学校に行くと決め、自分の意志で中学入試の勉強をし、自主自律型の学習者として毎日を過ごしてきた小学校6年生が昨日、一昨日、受験をしたのです。保護者の深い愛情と支援に包まれながら過ごしてきた自分を信じて、全力を出し切ったのです。

この経験は受験生にとって、単に「受験をした」というものではありません。もちろん、「合格した」というものでもありません。行為や結果だけが残るのではなく、受験を決意した日から受験日までの「プロセス」として残るのです。嫌々勉強していた時もあったでしょう。親に叱られた時もあったでしょう。自分を情けなく思った時もあったでしょう。そして、中学入試を止めようと思った時もあったでしょう。その度に、自分と向き合い、自分と戦い、自分を鼓舞し、乗り越えてきたのだと思います。

受験生の皆さん、今までの自分を褒めてあげてください。皆さんは他の8割近い小学生が経験しないことに取り組んできたのです。皆さんは決められた路を歩いてきたのではありません、皆さんが歩いてきたところが路になっているのです。自分の未来を自分で切り拓いてきたのです。遠慮することはありません。思い切り、今の自分も褒めてあげましょう。そして、受験日をゴールと思って立ち止まらないで、スタートだと思って駆け抜けてください。受験中の皆さん、今日は節分、明日は立春です。春に向かって歩み続けてください。心に灯をともし続けてください。保護者の皆さま、今まで通りしっかりと寄り添ってあげてください。

1月9日(月)成人の日に、130名ほどの卒業生が来校しました。「成人の集い」です。地元で成人式を終えた卒業生達が華やかな装いで集まり、母校で成人を祝う会です。卒業生の運営委員8名が企画・準備・運営をし、私達教員も招かれました。中学校1年生、12歳の頃を知っている学年教員にとっては、非常に感慨深い場面でした。「あの子ども達がこんなに素敵な女性になったんだ」「話す内容も大人だ」「これからが楽しみだ」「この卒業生達がこれからの地球を担っていくんだ」等、さまざまな思いが浮かんでくる、温かく、そして頼もしさを感じる時間でした。

新成人との会話は大人同士の、心地よいキャッチボールでした。数名の卒業生から「ホームページの校長ブログを読んでいます」という、嬉しい言葉をもらいました。卒業生が母校にいつも思いを寄せてくれていることを実感し、喜びと同時に責任の重さを再確認しました。ある卒業生は、「体育祭についてのブログがよかったです。優勝を逃したチームに、顔を上げ、胸を張り、自信を持って閉会式に臨みましょうと言ってくださった所に感動しました」という感想を述べてくれました。20歳になるとこのような、物事の本質を捉えた考え方ができるのだなと、改めて着実な伸長を感じました。

中学校・高等学校の6年間は大きく、深く、太く成長する過程です。最初のうちは自分を中心として生活しています。自分の経験と自分が感じたこと、思ったことを土台にして言動がなされます。感じたことや思ったことをすぐに発言し、それに基づいて行動します。つまり、「自分に見えている世界」の中だけで言葉を発して行動していることになります。このように外に出された言葉や行動は、他人が聞く、見るという形で受けとめられます。つまり、自分に見えている世界からアウトプットしたのものが、「他人が見ている世界」の中でインプットされるということです。中学生の時はこの二つの世界に食い違いがあるかもしれません。しかし、高校生になってくると、この相違が徐々に縮小されてきます。言った人の思いと聞いた人の思い、行為を行った人の気持ちと行われた人の気持ちの重複部分が広がってきます。新成人の言動はまさに、自分に見えている世界と他人が見ている世界の一致に向かっていました。私が頼もしさを感じたのは、会話をしていた卒業生にこのような大人の思考を感じたからだと思います。

中学生・高校生には、自分の言動が他人にどのように受けとめられるか考えてほしいと思っています。もちろん、会話や行動をする際に萎縮する必要はありません。明るく、伸びやかに、飾ることなく言葉を発し、行動すればいいのです。大切なことは、他人の思いや気持ちに寄り添えるような思考をするということです。そして、その前提として、自分の言葉と行動を一致させるということです。「言っていること」と「やっていること」が一致している、つまり、自己矛盾がない状態に、6年間で達してほしいと願っています。

新年、明けましておめでとうございます。皆さまにとって本年が、清澄でそよ風のような心地よい年でありますよう、心よりお祈り申し上げます。また、小学校6年生の皆さんにとっては、大きな節目の年になります。「もう一つのおめでとう」を目指して大空に羽ばたいてください。最後の受験日まで気持ちを引き締めつつ心穏やかに、「今、ここで」できることに集中して毎日を過ごしてください。中学受験は受験生にとっては大きなライフイベントですが、単なるゴールではありません。ゴールであると同時に中学生活へのスタートでもあります。小さな胸に大きな夢を抱いて、笑顔で受験を経験してほしいと思います。保護者の皆さま、どうかお嬢さまを、褒めて、励まして、育んであげてください。十二支には鶏が使われていますが、鶏は朝の時間を教えてくれる時告げ鳥と言われており、太陽の神を呼ぶ神聖なものとして考えられています。また、酉には「実る」という意味があり、縁起の良い年であると言われています。中学入学という素晴らしい時が告げられる、お嬢さまに実りがもたらされる。皆さんにこんな平安が訪れることを願っています。

今年は、本校創立108年目の年です。私は、受験生と保護者の方のひたむきな努力をしっかりと受けとめ、多くの卒業生の母校への思いを真摯に受けとめつつ、在校生と保護者の方へしっかりと目を向けていきます。年末の全校集会で「12月29日は振り返りの日、12月30日は感謝の日、12月31日は決意の日」という話をしました。1年を振り返って反省をして改善策を考える、自分を支えてくれた多くの人々に感謝をする、翌年に向けての決意をする。年末をこのような意識を持って過ごして新年を迎えてほしいという思いを込めました。振り返ることは自分を見つめ直すことです。感謝することは相手を尊重し自分の心を正直に表すことです。そして、決意することは、自分で自分を高めることです。すべての人が持っている「伸びたいという気持ち」が「伸びた」という達成感に変わるための一助になればという願いを込めました。

今、ここでできることに全力投球することは、自分の過去を振り返り反省し、それを現在に生かしていくことであると同時に、未来の自分という種に水をあげていることでもあります。そのためには、足元をしっかりと見て毎日を過ごすことが必要です。虫のように目の前のことをしっかりと見つめて行動する、つまり「虫瞰図」を描けることが要求されます。さらに、物事の概要を捉えて日々の出来事を理解することが必要です。鳥のように空から自分とその周囲をしっかりと見つめて思考する、つまり「鳥瞰図」を描けることが要求されます。“Think globally, act locally” という概念にも通ずる視点です。現状に留まらず、未来の自分という種を育てる、未来の地域という種を育てる、未来の日本という種を育てる、そして、未来の地球という種を育てる。そんな自覚を持った人に伸びていってほしい、そのためにできることを精一杯したい。私の校長としての決意です。

12月14日(水)、中学3年生を対象に「第2回中村高等学校進学説明会」を90分構成で行いました。前半が、高校1年次のカリキュラム及び選択科目(地理歴史・芸術・スペイン語)の説明とオーストラリア短期研修(約2ヶ月)の説明で、後半が、キャリアコンサルタントとしての校長講話というプログラムです。

私は後半で、「皆さんが短所と思っていることは、捉え方を変えれば長所でもある」「希望には終わりがない」「CAN MUST WILLを励行することが自信を高めていく」「皆さんの周りには支えてくれる人、守ってくれる人、励ましてくれる人が必ずいる、その人に感謝することを忘れないで」「何かにぶつかり、迷い、挑戦し、挫折し、ということを繰り返して自分を育てていく感覚のことが『自信』なんだ」ということを、具体例を交えながらお話ししました。

生徒たちは主体的に私の話を聴いていました。そして、自分なりに考えてくれました。「いろいろなことにチャレンジしてみて、成功の要因と挫折の原因を見つけ、自分を改めることができる高校生になりたい」「高校生になると、自分で決めることが多くなるので、自分が何をしたいのか、何をすべきなのか、もっと考えたい」「今の自分で本当に大丈夫なのか、よく考えてみることが大切だ」「高校生になるまでに、今の顔つきから大人の顔つきになれるよう、色々な面で努力したい」「今までの考えを捨てたりはしないが、一回しまおうと思う」このような決意が行動に繋がり、その行動の継続が自信を形作っていくのだなと頼もしく感じました。

秋桜の花を見たいと思った時、皆さんはどのように行動するでしょうか。「スマホで検索して画像を見る」「花屋さんで鉢植えや切り花を買う」「コスモス街道まで行って見る」「種を手に入れて、自宅で育てて、花を咲かす」など、人それぞれのやり方がありますが、私が生徒たちに求めているのは、「種から育てて花を咲かせて見る」という生き様です。速効性や効率性の観点からすると、回り道あるいは寄り道かもしれません。成果主義、業績主義、結果主義の経済界の流れには乗り遅れているかもしれません。しかし、中学校・高等学校は単なる「人材養成機関」ではありません。企業が求めている即戦力養成機関でもありません。私は「人」を育てることを大切にしています。そして、決意と行動の本質を追究して、揺るぎない自信が生徒の心に根ざすことを求めています。

説明会終了後、自由参加の保護者の方から「先生のお話は、思春期の揺れる心を持つ娘たちの良い所を一所懸命見つけ出して、考え方を切り替えるように促してくれています。最近、帰宅してからの娘の表情が随分変わってきました」というお言葉をいただきました。私の心を育てて、自信を芽生えさせてくれる言葉でした。

寒さが厳しさを増しています。小学生の皆さん、保護者の皆さま、くれぐれもお身体大切になさってください。そして、皆さまにとって平成29年が素晴らしい年になりますことを心よりお祈りしております。

先月、本校図書委員会から「先生からのLOVE CALL 第26巻」が発行され、生徒全員に配布されました。全教員が選んだ書名とその紹介文が42ページに亘って掲載されている、年1回発行の冊子です。本の面白さを紹介するだけではなく、読書を通じての教員の思考や価値観などが書かれています。私は今年のLOVE CALLに、「動物の権利(デヴィッド・ドゥグラツィア:岩波書店)」を選び、次のような紹介文を書きました。

ペットの幸福は飼い主の気持ちに左右される。ペットの生活は飼い主のライフサイクルや価値観によって決まる。ペットの生命は飼い主の意思に託されている。ペットは飼い主に依存した自己規定を余儀なくされている。

ペットの行動の自由は、人間によって制約されている。昼間はずっと留守番をしていたり、散歩にも短い時間しか連れていってもらえなかったり、遊んでもらえなかったり・・・。また、飼い主が都合のよい時だけ散歩の時間を長くしたり、飼い主の気が向いた時だけおもちゃで遊んであげたりすることもある。しかし、ペットは人間の気まぐれな楽しみのためだけに存在するわけではない。

5年前に我が家にトイプードルの男の子「エル」が来てから、こんなことをぼんやりと考えるようになった。「確かにエルには義務はないが、権利はあるのではないか」「エルに対して自分は、非常に重い責任を負っているのではないか」「エルの基本的なニーズを満たしてあげるために何ができるか」などと考えていた時に、獣医学部に進学を希望している生徒から、「今、『動物の権利』という本を読んでいるのですが、先生にも是非読んでもらいたいです」と言われ、その日のうちに書店に行って購入した。

「動物の権利」には、ペットはもちろん、動物園の動物、工場畜産されている動物、肉食用動物、実験対象にされている動物など、さまざまな動物が持つ権利についての考え方が書かれている。その根底にあるのは、「動物は道徳的地位を持っており、単に人間の利用の対象ではないので、人間は動物を道徳的地位を持つ存在として尊重する態度を涵養する責任を持つ」という主張である。「感覚性を持つ動物は平等な配慮に値する」という主張である。この本を読んだ後にエルと会った時、今までのように「可愛い」とか「癒やされる」とか「留守番で可愛そう」というような感情だけで接していない自分がいた。「ペットを飼うって覚悟が必要で、飼い主である自分が人間として試されているんだな」という価値観が芽生えていた。「権利を持ったエル」に何となく頼もしさを感じて、今までとは違う関係が築かれていく予感がした。

1冊の書籍が、価値観を変えてくれました。思考を広げてくれました。動物へのまなざしから甘さを取り除いてくれました。そして、動物を飼っている者としての行動を変えてくれました。あの時、あの場所で、あの生徒とすれ違い、「勉強の調子はどう?」と声をかけていなかったら、本を紹介してもらうことも、読むことも、深い価値観に気づくことも、思考することも、自分の甘さを認識することも、行動を変えることもなかったと思います。生徒に感謝しています。「動物の権利」と筆者に感謝しています。そして、エルの存在そのものに感謝しています。

11月2日(水)、5年生(高校2年生)を対象に、進路説明会「卒業生を囲んで」が行われました。大学に在籍している卒業生達が5年生全員に、自身の高校時代のキャリアデザインや学習への取り組みを話してくれたり、大学での探究活動や生活について説明してくれたりする行事です。本格的に受験勉強に取り組み始めている5年生にとっては、自分の行動(生活)を振り返る機会であると同時に、今後のキャリアを再度真剣に考えるきっかけとなる機会でもあります。

今年は10名の卒業生にお願いしました。東京農工大学(農学部地域生態システム学科)、東京藝術大学(美術学部絵画科日本画専攻)、日本大学(医学部医学科)、埼玉大学(教育学部学校教育教員養成課程小学校コース文系)、明治大学(文学部日本文学専攻)、上智大学(文学部国文学科)、明治大学(情報コミュニケーション学部情報コミュニケーション学科)、文教大学(教育学部心理教育課程幼児心理教育コース)、東邦大学(看護学部看護学科)、獨協大学(法学部国際関係法学科)。それぞれの卒業生が独自の経験知を駆使して、後輩に向けた熱いメッセージを送っていました。「6年生の体育祭と受験勉強との両立は難しいが、両立しなければ終わりだ」「絶対この大学のこの学部に行く、という意地やこだわりが大切」「中学生の時から法学部に進学したくて、その意思を貫き通した」先輩の言葉は、親や先生の言葉よりすっと心に入るようです。

進路説明会終了後に、2人の卒業生とお話しをしました。一人は農学部の4年生、もう一人は美術学部の3年生です。農学部の卒業生は、地域を限定して鹿の生態をグループで研究し続けていました。美術学部の卒業生は、1年次から積極的に展覧会に出品し続けているそうです。大学卒業後の進路について尋ねると、二人とも「大学院修士課程に進む」と、間髪入れずに答えました。私はその進路を思い切り後押ししました。「絶対に大学院に行きなさい。私は大学4年生の時教授に誘われたけど、大学院に進まず就職をしたのです。でも、ずっと後悔の念が消えず、45歳の時に受験して合格し、47歳で修了しました。2年間、本当に楽しかった」という話もしました。二人は目を輝かせて聴いてくれました。

学びには4つの段階があります。「第一段階:人から学ぶ」「第二段階:人と学ぶ」「第三段階:自分で学ぶ」「第四段階:自分を学ぶ」二人の卒業生は、中村での6ヵ年一貫教育を経て、大学4年、あるいは大学3年までの期間で、この4つの段階を着実に歩んでいったのです。「受動的学習」から始まり、先生や級友との「協働学習」を経験し、「個の学習」の重要性に気づき、「自分を学ぶ難しさ」を認識するに至ったのです。大学院修士課程を希望している今、二人の卒業生は、学ぶことの奥深さと楽しみを噛みしめ、自分を磨くことの難しさと愉しさを悟り、未来の自分を学ぶことに小躍りしているように見えました。二人の卒業論文と修士論文が楽しみです。この卒業生達の研究分野を踏まえた上で、私は別れ際に「修士課程を修了したら、博士課程に進みなさい」と伝えました。大学の教授を目指しなさいという意味で言ったのではありません。二人の探究にとって、修士課程2年間はあまりにも短いと判断したからです。二人は必ず、もっと研究したくなると予想したからです。学問の美味しさを知ってしまったら、食べずにはいられません。そして、食べ続けていいのです。頭のダイエットは必要ないのですから。

10月29日(土)、30日(日)に本校の文化祭である「清澄祭」が行われました。今年のテーマは“one step forward”でした。一歩前へ踏み出し、中村らしいアウトプットの場にしようという願いを込めて、生徒実行委員長と副委員長が設定しました。クラス、部活動、委員会等における活動で培った力を発表する文化祭という機会に、生徒一人ひとりが自分の役割を自覚し、堅実な歩みを体現しようという意欲的な文化の祭典になりました。当日は、生徒の家族・友人をはじめ、学園関係者、地域の方々など、多くのお客様をお迎えすることができました。

クラスでは代表委員やクラスリーダーを、部活動では部長を、委員会では委員長を中心にして、それぞれの団体の目標を達成するために、全校生徒が各々の役割を責任をもってこなしていました。もちろん、校友会(生徒会)会長をはじめ、役員の生徒達や学校週番の生徒達のサポートも、盛大な清澄祭への大きな推進力になりました。また、PTA役員・委員、後援会、同窓会、おやじの会の方々の多大な協力体制も、生徒達の活動を後押ししてくださいました。

大きな行事を成功に導くには、リーダーシップが必要です。文化祭という行事は、構造が複雑なので、多数のリーダーが存在します。クラスのリーダー、部活動のリーダー、委員会のリーダー等です。一般的に、リーダーにはさまざまなタイプが存在します。「独断的専制型リーダー」「温情的専制型リーダー」「協議型リーダー」「集団参加型リーダー」「成果を重視するリーダー」「チーム維持を重視するリーダー」「教示的リーダー」「説得的リーダー」「参加型リーダー」「委任的リーダー」「ヴィジョン志向的リーダー」「変革型リーダー」などです。

もちろん、生徒はこのような「リーダーのタイプ」を意識しているわけではないので、実際には、さまざまなタイプのリーダーシップを無意識に融合してリーダーを務めていました。しかし、多くのリーダーに共通していたのは、「自分の背中を見せる」という特性でした。「自分のヴィジョンに向けて進む、そのための指示を出す、そして任せる部分は任せる、でも、自分も精一杯行動する」ということでした。この姿勢が、校内のあらゆる場面で感じられました。多分、多くのリーダーたちは「置かれた場所で咲く」ことの重要性を認識していたのでしょう。どんな小さな仕事でも大切であるという価値観を持っていたのでしょう。その上で、牽引車としての役割を果たしていたのでしょう。清澄祭初日の朝、実行委員長の生徒が全学年の実行委員の生徒達に向けて、「自覚、笑顔、5分前行動を忘れないで」と言ったことに、私は懐の深さを感じました。

リーダーは、リーダーシップだけを備えていればいいわけではありません。先頭に立ってメンバーを鼓舞するだけのリーダーでは、変化の激しいこれからの社会に対応していくのは困難です。周りを見ながら、メンバーの力を引き出しながら、時にはリーダーとして、時にはフォロワーとして、柔軟に物事に正対する姿勢を有することが、リーダーに求められる資質です。中村の生徒は、「一隅を照らすフォロワーシップを備えたリーダー」を目指します。「理想を語り現実的に行動するリーダーシップを備えたフォロワー」を目指します。

 

11月16日(水)の午後、“Nakamura English Day”が行われます。中学1・3年生は、日頃の英語学習で身につけた力を使って、さまざまなテーマについて書かれた英文や著名人の英語の演説を理解し、その内容を自分なりに消化し、その英文を暗記して中学校全学年の生徒の前で発表します。2年生は国内サマースクールで、外国人に深川を案内したことを、パワーポイントを使って英語でプレゼンテーションをします。

“Nakamura English Day”で発表するためには、選考会で選ばれなければなりません。その選考会である”Pre-English Day”が、今週、学年単位で行われました。全クラスの発表を聴きに行きましたが、3年生の中には、身振り手振りを加えつつ、まるで本当の演説者のように「スピーチ」をしている生徒もいました。このような生徒は、暗記した英文を発表するという域を超えて、英語をコミュニケーション手段として内容を聴衆の心に訴えるという域に達していたと思います。また、初めて発表する1年生については、全クラス、始まる前から教室全体が緊張感に満ち溢れた状態でした。黒板の前に立った時には、緊張が極限に達していることがクラスメートにも私たちにも伝わってくる雰囲気でした。「一所懸命暗記したのに忘れたらどうしよう」「クラス全員が自分に注目していてドキドキする」「自分の英語を聞かれるのは恥ずかしい」「授業担当以外の先生や保護者の方が後ろで聴いているのでプレッシャーだ」「大きな声が出せるか心配だ」など、さまざまな思いを胸に発表に臨んでいたようです。全員の発表が終わった後に、「緊張した人」と尋ねてみましたが、私の問いかけが終わるか終わらないうちに、全員が勢いよく手を挙げました。

極度の緊張状態の中で外国語を使って発表することを、1年生は経験しました。一生の中でも最初の貴重な経験です。全員の発表が終わった後、私は生徒たちに、「皆さんが緊張していることはよく分かりました。でも、その張り詰めた気持ちを乗り越えて、教室の一番後ろまで届く声で発表してくれました。皆さんの健気に頑張っている姿を見て、とっても嬉しい気持ちになりました。初めて英文を見た時から今日まで、一人ひとりが努力して成長したことが嬉しいのです。そのような地道な取り組みを続けていけば、皆さんは必ず伸びます。担当の先生の授業をよく聴いて、先生の指示をしっかりと実行してください。期待しています。」と伝えました。

生徒たちはこれからさまざまなコミュニティーの中で生きていきます。そのメンバーが日本人だけであろうと、外国人を含んでいようと、臆することなく意思を伝達することが求められます。そのための土台構築の一助に、経験としての“Pre-English Day”がなっています。英語の知識・技能を習得することは「形式知」です。そして、”Pre-English Day”のような行事は「経験知」です。感覚などとして体得された知識です。経験知を得るには手間がかかります。しかし、時間がかかった分だけ、さまざまな人生の「景色」をみることができます。その景色の写真が、自分の心のアルバムに増えていけばいくほど、人生は豊かになります。形式知だけを求めて邁進することが必要な時もあります。しかし、そんな時でも、回り道をしたり寄り道をしたりして経験知を求める。こんな気概が、21世紀を生き抜く生徒たちには必要なのです。

「母も父も私の進路について、『自分の目指す路を、迷うことなく進みなさい』と言ってくれました。でも、学費もかかるし、両親に負担がかかるのではないかと思っています。自分のやりたいことだけを考えて、親に甘えた状態で進路を決めていいのか。いろいろなことを考えてしまいます。」これは、中学2年生の言葉です。

この生徒は、親の経済的負担だけを考えているのではないと思います。毎日忙しく動きまわっている親の、身体的負担や精神的負担をも考慮しているのだと思います。親の帰宅時間が遅いのかもしれません。疲れているのに娘の話に真剣に向き合ってくれているのかもしれません。娘の夢にブレーキをかけるのではなく、後押ししてくれているのかもしれません。そんな親の姿を見て、この生徒は自分の生き方を見つめ直すことを、14歳で実践しているのかもしれません。「親は自分のために無理をしているのではないだろうか」と憂慮しながら。

「娘には幸せになってもらいたい。これが私の母親としての望みです。漠然とした希望ですが、そのために今、できることをする。それが親としての使命だと思っています。将来、娘は親の庇護から巣立ち、一人で生きていくことになります。その時に、自分の路をデザインし、その路を切り拓き、一歩一歩着実に歩んでいってほしいのです。」これは、在校生のお母様の言葉です。

このお母様は、単なる自己犠牲として子どものために何をすべきか考えているわけではありません。もちろん、自分の人生を子どもの人生に重ね合わせて自己実現を果たそうとしているわけではありません。ましてや、自分の敷いたレールの上を子どもに走らせようとしているわけではありません。子どもを「個」として認め、「個の成熟」に資することを、人生の先輩として可能な限り提供したいという思いを抱いているのだと思います。

親には親の楽しみがあります。仕事の楽しさ、趣味の楽しさ、ボランティアの楽しさ、友人と時間を共有する楽しさ、家族と過ごす楽しさ、学びの楽しさ・・・。このような楽しさは、比較の対象にはなりません。さまざまな価値が独立して存在し、かつ融合して、人生の喜びを紡ぎ出しているのです。その中の一つとして、子どもに関わる楽しさがあります。

あるお母様は、「子どもがどんなことでも、一所懸命取り組んでいる姿を見る時、例えようのない幸せを感じる」と仰っていました。勉強でも、習い事でも、趣味でも、交友関係でも、努力を惜しまず夢中になっている姿に幸せを感じるという意味です。純粋に「嬉しい、幸せだ」と感じるのです。

親と子は、このようなお互いの思いを伝え合うべきです。面と向かって話をすることは照れくさいかもしれません。しかし、親の負担を心配する子どもの思いと、子どもの伸長を無条件に願う親の思いが出会って融合した時にこそ、子どもの心だけでなく、親の心にも「風」が訪れるのです。その風は、暴風ではありません。悲風でもありません。もちろん、魔風や疾風でもありません。その風は、親子の気持ちを爽やかにしてくれる「薫風」であり、親子の穏やかな関係を築く「和風」であり、親子の歩みを応援する「順風」であり、何より、親子の心を成長させる「恵風」なのです。家庭で、親と子がこのような心地よい風を感じることを、心より願っています。